「わかるよ」が、ちょっと怖い。

「私、ビールが大嫌いなんだよね」

「わかる! 苦いもんね!」

こんな会話を聞いて、何かおかしいと思うだろうか。

きっと、何もおかしくないと思う。

相手の話に同感することで、親しみを伝えようとしているのかもしれない。会話を弾ませたいという、好意的な気持ちもあるのだろう。

でも、もし自分がビールを大好きだったら?

僕なら「ああ、苦いのが苦手なんだね」と答えると思う。

相手の気持ちは受け止めたい。でも、無理に同じ意見になる必要もないと思っているからだ。

言葉の温度が気になる。

僕は以前から、何を話しても「わかる!」「そうだよね!」と同感してくれる人に、少し怖さを感じることがあった。

もちろん、同感してくれること自体が嫌なわけではない。

ただ、ときどき、本当にそう思っているのかな、と感じることがある。

言葉の内容というより、温度なのかもしれない。

相手が嘘をついているのかどうかなんて、僕には分からない。

でも、何を話しても同じように同感されると、その人が本当はどう思っているのか、だんだん見えなくなってしまう。

僕が少し怖くなるのは、たぶんそこなのだ。

仲良くなろうとしてくれているのに。

考えてみれば、相手に悪意なんてないのだと思う。

むしろ、仲良くなろうとしてくれているのかもしれない。

初めて会った人や、まだそれほど親しくない人と話すとき、いきなり自分と違う意見を伝えるのは難しいこともある。

相手の話に同感することで、会話のきっかけを作ろうとする人もいるだろう。

それはそれで、一つのコミュニケーションなのだと思う。

ただ、僕は少し違う。

同じ意見であることよりも、その人自身がどう感じているのかを知りたい。

「僕はビールが好きなんだけどね」

そんな何気ない一言があった方が、かえって安心することもある。

もちろん、何でも正直に話してほしいわけでもないし、意見が違うたびに反論してほしいわけでもない。

ただ、無理に合わせなくてもいいのにな、と思うのだ。

安心するポイントは、人によって違う。

同感してもらうことで、親しみを感じる人もいると思う。

一方で、僕のように、何でも同感されると相手の本音が見えなくなって、不安になる人もいるのかもしれない。

どちらが正しいという話ではない。

ただ、コミュニケーションには、こんな違いもあるんじゃないだろうか。

相手は仲良くなろうとしてくれている。

それなのに、受け取る側は少し怖くなってしまう。

お互いに悪意がなくても、そんなすれ違いが起こることもある。

自分が安心する接し方が、相手にとっても安心できるとは限らない。

そう考えると、相手のことを知るというのは、好きな食べ物や趣味を知るだけではないのかもしれない。

その人が、どんな接し方に安心するのか。

そんな違いにも、少しずつ気づいていけたらいいなと思う。